旅立ち
今日はこどもの日。
早いもので2012年も3分の1が過ぎました。
ブログ更新も久しぶりです。
今年に入ってからは、なかなかブログの更新をする時間、また、気持ちの余裕も無く・・・。
一ヶ月前の4月5日午前6時30分。
父、逸見英幸が死去いたしました。
64歳でした。
葬儀並びに告別式に際し、多くの皆様にご会葬いただき、ありがとうございました。
病気が発覚してから2年間の闘病生活。
2年間は、父にとっても家族にとっても、激動の日々でした。
15時間以上の大手術、祖父の死去とその翌日に発生した東日本大震災、足立区議会議員2期目への選挙、そして再発・・・。
本人の希望により、最後の一ヶ月は自宅に戻り、そのまま息を引き取るまで自宅で見届けました。
在宅看護や終末期医療の過酷さと、その素晴しさを経験することができました。
息を引き取ったのが早朝でしたので、もし入院をしていれば最後の瞬間そばにいられなかったかもしれません。
父は、学生時代に元民社党委員長の春日一幸先生の秘書として政治の道へ入り、足立区議会議員を14年、その後、国政に挑戦し続けました。
愚直に自分の信念を曲げず、政治一筋に生きた父でした。
「武士は食わねど高楊枝」
この言葉をよく父は口にしていましたし、父らしいなと思います。
まだ、心の整理がしきれていないというか、旅に出ているだけでいつかの日にかひょっこり帰ってくるのではないかという思いがしています。
きっと、この気持ちはずっと持ち続けるのだろうと思います。
父から受け継いだ志を胸に、これからも父と共に生きていこうと思います。
今後とも、父の生前と変わらぬご厚誼とご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

“永遠のさよなら”をしても
あなたの呼吸が 私には聞こえている
別の姿で 同じ微笑で
あなたは きっとまた会いに来てくれる
~Mr.Children 花の匂い~
早いもので2012年も3分の1が過ぎました。
ブログ更新も久しぶりです。
今年に入ってからは、なかなかブログの更新をする時間、また、気持ちの余裕も無く・・・。
一ヶ月前の4月5日午前6時30分。
父、逸見英幸が死去いたしました。
64歳でした。
葬儀並びに告別式に際し、多くの皆様にご会葬いただき、ありがとうございました。
病気が発覚してから2年間の闘病生活。
2年間は、父にとっても家族にとっても、激動の日々でした。
15時間以上の大手術、祖父の死去とその翌日に発生した東日本大震災、足立区議会議員2期目への選挙、そして再発・・・。
本人の希望により、最後の一ヶ月は自宅に戻り、そのまま息を引き取るまで自宅で見届けました。
在宅看護や終末期医療の過酷さと、その素晴しさを経験することができました。
息を引き取ったのが早朝でしたので、もし入院をしていれば最後の瞬間そばにいられなかったかもしれません。
父は、学生時代に元民社党委員長の春日一幸先生の秘書として政治の道へ入り、足立区議会議員を14年、その後、国政に挑戦し続けました。
愚直に自分の信念を曲げず、政治一筋に生きた父でした。
「武士は食わねど高楊枝」
この言葉をよく父は口にしていましたし、父らしいなと思います。
まだ、心の整理がしきれていないというか、旅に出ているだけでいつかの日にかひょっこり帰ってくるのではないかという思いがしています。
きっと、この気持ちはずっと持ち続けるのだろうと思います。
父から受け継いだ志を胸に、これからも父と共に生きていこうと思います。
今後とも、父の生前と変わらぬご厚誼とご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

“永遠のさよなら”をしても
あなたの呼吸が 私には聞こえている
別の姿で 同じ微笑で
あなたは きっとまた会いに来てくれる
~Mr.Children 花の匂い~
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